学習!学ぶ姿勢の影響とは?

私は学生や後輩指導において、

「しっかりと勉強してね。」

と伝えることがある。

私の意図としては単純に、「成長してほしい」と願いがあるからだ。

ただ、いくら言っても伝わらないことがほとんどだと感じる。

私自身、「生涯通じて学んでいなかなければならない」と思う感性がある。個々の学習の内容や質は異なるが、学びから得られることが多くあると思っているからだ。

そもそも学習って何なのだろう?

大辞典にはこう書かれている。

  1.  学問・技術などをまなびならうこと。「学習の手引」「学習会」

  2.  学校で系統的・計画的にまなぶこと。「英語を学習する」

  3.  人間も含めて動物が、生後に経験を通じて知識や環境に適応する態度・行動などを身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。

 

しかし、教育学での学習になると下記のようになる。

『学びへの誘い』
学習を「文化的実践への参加」だとする・・・学習ということはまさに、「より広い世界へ向けて、より根源的なところに立ち返りつつ、文化における意味世界の吟味、享受、再構築の共同的実践に参加していくこと」にほかならない。・・・「参加」という言葉を使うのは、それがきわめて個人的な「自分探し」の営みでありながら、同時にきわめて社会的な、人々との共同的な営みに、自らのユニークな「自分らしさ」を生かしながら、「加わって行く」営み。(1995年東京大学出版会より一部抜粋)

表現の仕方は違えど、基本的には知識や計画など学びながら自分を探し出していくことになる。

私自身の考えも上記と同様で結局は自分を探しだすために行っているのだと改めて感じさせられた。

その中でも特に共感できるのが、哲学者「プラトン」が唱えたもので、

無理に強いられた学習は、何一つ魂の中に残りはしない

ということだ。

この言葉を聞いたときは、「なるほど」っと思ったが、私自身が指導の際に伝えていた「勉強してね」は、あまり意味をなされていなかったことも事実だと思う。

結局は、自身が成長するには、強制ではなく自主性が必要だと感じた。

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